“工場今昔風景”そして“今どきの若者は”
製造部 機械グループ 長沢 源機
当社で機械場担当の最も長い長沢源機さんに、工場の変遷・機械操作、次代を担う若者などについて聞きました。
Q:機械場での機械の操作はいつから担当していますか?
それまで五反田にあった工場が足利に移転して1年目に入社、昭和44年(1969)からです。以来、49年間機械とお付き合いをしています。
Q:当時の足利工場はどんな様子でしたか?
入社した時の足利工場は第1期計画の真っ最中で、クレーンなし、フォークリフトなし、代わりに工場内に線路が縦横に通り、トロッコが重い鉄のかたまりを運んでいました。所々にピットが掘られてありました。
今でも第1工場にその痕跡を見ることができますよ。その昔、都会にあった路面電車の線路跡のようなものです。
ここは精密な加工をするための工場ですから、床下に杭を何本も打ち込んで基礎を固め、周りに堀割のごとく深い溝を巡らし、その中に工作機械を設置しました。周りからの振動を遮断することに特別の注意を払っていたのです。
今でも工場のなかにそのころに設置した機械が何台か残っており、堂々と活躍、睨みをきかせています。
Q:その後も機械が多くなってきたようですね?
クレーンが設置され、工場も拡張され、大型NCマシンが続々と導入され、精密機械を製造する工場として形が整ってきましたし、研削の第1工場・研磨の第2工場と工場別に性格付けもされました。
そして、当時としては珍しかった機械先進国ドイツ・スイスの精密研磨機械が相当台数入ってきました。ワールドリッヒ、ライスハウァーなどです。
高精度で他社にはない機械だったので、当社の機械部品を製作するだけでなく、他社の部品の仕上げ加工を引き受けて、それはそれは大忙し、よく働いてくれました。
Q:この工場では自社製の機械が多く活躍していますね?
そうです、当時はマシニングセンター製造会社として国内・海外向けで頑張っていましたからね。自社で使える機械だからこそ、顧客も愛用してくれたのでしょう。
それにしても長持ちするものです。当然ながら自社で修理ができるので、まだまだ使うことができるでしょう。
Q:機械を長持ちさせる秘訣はなんですか?
定期点検で締めるところは締め、程よいグリスアップを欠かせませんし、ベアリングはじめ摩耗する部品は早目早目に交換することです。
摺動部分は均等に摩耗していくので、調整さえしっかり行えば精度は維持できます。
Q:最近導入の大型NC機械はいかがですか?
昼夜を通し自動運転しますから、ツボにはまれば大活躍します。
もっとも、最近は比較的ロット数の少ない受注生産が中心ですから、腕をさすって待ち構えているのでは。
大型のロータリー研磨機は忙しく働いていますよ。ただこれも、機械の規模に比べてワークが若干小振りなものが多くて、たまには大きなものも磨かせて下さいよと機械が言っているような気がしますね。
Q:教育担当としてどんな教え方をしていますか?
私の接する限り、よく世間で言われる「今どきの若者は・・・」ということは全くありませんね。もともと機械が好きな青年たちということでしょうか、呑み込みが早くて、熱心ですし、何よりコンピューターに強い。制御盤への入力方法の会得など、我々のころと比べて格段に速いですよ。
Q:それは頼もしい若者たちですね。
ただ気の毒なことは、NC化されているために、機械の基本構造などを知らなくても使いこなせますので、故障した時の対応には苦戦することが多いようです。
しかし、そんなことは勉強を進めていけば解決することですからね。
彼らの成長が楽しみです。